hodaぶろぐる - 200512のエントリ
陽水に対抗して我が少年時代を振り返ってみる。
伊勢平野は広い。しかも豊かな川が幾筋も平野を横切り、水良し、空気良しの、まさに稲作に適した真っ平らな平野である。
子供たちにとっても海、山、川と遊び場には事欠かない恵みの多い地でもある。気候はといえば、志摩をイメージして一見温暖な地であるように思う方も多いかもしれない。
たしかに春から秋にかけてはあたっているだろうが、冬の北西風の冷たさときたら、これはもう日本海側並で誰しも驚かれるだろう。
高い山などさしたる障害もなく琵琶湖、鈴鹿山脈を越えて来た風には幾分水分が多い。それが狭隘な部分をくぐって来ると鞴(ふいご)となって勢いを増すうえに、その湿った風がまるで氷の手裏剣かと紛うばかりに表情を変え顔、手指を刺すように襲うのである。
冬場は風上となる母校に通うには、息もできないほど吹き付ける風と喧嘩しないでは一歩も自転車は前へ進まない毎日であった。今でも、たまに正月などに帰ろうものなら、軟弱な都会暮らしで堕落した身ではたちまち風邪をひいてしまうのである。
寒風に スクラム組むや 伊勢大根
少年のころ。
暗くなるまで外で遊ぶのが当たり前で、毎日が相撲、馬飛びに明け暮れ、おかげで霜焼け、垢切れは悪ガキの証ともいえた時代であった。
ある日、線路を超え隣町まで遠征したときのことである。寒風に吹きさらされた刈田の一面に見慣れぬものを発見したことを今でも鮮明に憶えている。
それは高い木杭の間に、さらに何段もの太い杭がわたされ、それぞれに何本もの大根が干されていた光景であった。それらがいくつもあるものだから、少年の視点高から見ると、まるで幾重にも高い壁が築かれたようにも見えたのだった。
もうそんな時候だね。
大晦日の夜更けにポストに走るのだけは避けたいが、やっぱり今年もそうなるのだろうか。春から学校時代友人たちとweb句会を楽しんでるので、しゃれた俳句でも添えれば面白いかもしれないな。そうすれば余分なこと書かなくて済むかも。
近ごろの 犬は寒さを 厭うなり<- 川柳か(笑) 来年は同期の四分の三(戌年)が還暦を迎える。
photo by iwa
残りたる もみじ葉朱の 極みかな今朝、黒猫hodakaと散歩(猫がだよっ)していて、猩々楓を逆光で透かし見た時の句。
まるで最後通告にも似て、俺が枯れたらいよいよ本格的な冬だぞ、よく見ておけ、と言わんばかりの、朱という朱を煮詰めたように濃い、混じりけのない純粋な朱。まさに絶命せんとするものの凄絶としか思えないような。
おそらく今朝あのとき限りの色だと思う。