hodaぶろぐる - 最新エントリー
季節を身近に感じさせてくれる一画でもあるのでポタリング途中で公園を訪ねたりすると必ず立ち入るようにしている。
6月の土曜日、梅雨の晴れ間をついて自宅からクルマで30分ほどの薬師池紫陽花園に行ってきた。決して広くはないのだが、ここには在来種ばかり数十種の株がありあらためて在来種の種類が多いのに驚かされた。大半が額紫陽花と呼ばれるもので、その形にはさまざまなものがあり造形の妙、加えて大きさや色合いのバリエイションも加わってどの株も撮影には格好の材料となる。
携帯電話のカメラで気軽にスナップを楽しむグループがいたり、なかには浴衣のモデルさんを引き連れて本格撮影をしゃれ込む日曜カメラマンもいるかと思えば、それぞれ高価なカメラを携え撮影に没頭している熟年ご夫婦もおられる。
web用に数コマ撮れれば十分な私としては、雨後の厳しい日差しとたちこめた湿度が100%くらいはあろうかと思われる谷戸を早々に退散した。
撮りためたものを材料にして最近フォト俳句を始めた。出来はといえば。。。^^; なのでお時間のあるかたのみご笑覧を。
life in monochrome
あやめ、かきつばた、菖蒲はどう違うのかと問われても、浅学の私には答えられない。
水郷・潮来では「あやめ園」、修善寺虹の郷では「菖蒲ヶ池」といい、愛知・知立の有名な八橋では「かきつばた園」、本牧・三渓園のは菖蒲だという。
しかし、テレビや新聞などで、どこそこのなんとかが満開で賑わっていますと聞くと矢も楯もたまらず出かけたくなる性分の私としては、そんなことはどうでもいいことである。
そして、うっとおしい梅雨が続く季節となると、しっとりとした水辺の花を求めることになるのである。
初めての遠足が枚方パーク、おぼろに菖蒲園があったような記憶しかないが、大学時代に親しんだ楽曲・柳川のかきつばたの世界は、一度も訪問したことがないのに、とくにそのメロディが耳に響いて甘味なものとなっている。
昨春、市民の憩いの場、薬師池公園梅林を訪れたとき撮ったものです。(ピンが甘くて^^;)
ここは昔、農業用ため池として利用されていたものですが環境整備されて市民に開放されています。
谷戸の谷間にあるので梅林の盛りはちょっと遅めです。その梅が終わると池をめぐっての桜が見事。桜の次は立派な藤棚が楽しめます。
続いて、あやめ?菖蒲?、そして種子をもらい受けた大賀ハスと春は市民の訪れが絶えません。
一度お出かけください。場所は町田市鎌倉街道沿いで、近くにはカタクリの里、リス園、ダリア園といろいろ楽しませてくれるところがいっぱいです。
昨日は立春節分、何年ぶりかの豆まきをした。
往来に向かって大声を出すのはなんとなく気恥ずかしいものだが、ご利益を願って今年は少しだけ声を大きくしてみる。
ただ、子も独立してしまうと用いる豆も極少量。したがってスーパーで売ってる安直な豆まきセットとなるが、その豆もあっけないほど歯ごたえがなくて歳の数などはみるみる食して終了。
やはり、子供たちと賑やかに生豆を炒ったり、お面の鬼役をかったりしながら過ごした団らんとはほど遠いものがある。
子供らも 鬼面かぶりて 春の立つ
ところで、あの豆やあられを炒る道具。あれは今どこで買えるのか、「あられ炒り器」でグーグルしてみると、なんと懐かしや、我が津の町、丸之内商店街・分部町商店街・大門大通り商店街の名が並んでるではないか。
全国でたったの1店、村田金物店だけがヒットした。
今月、義兄見舞いに帰津するので、立ち寄ってみようと思う。
陽水に対抗して我が少年時代を振り返ってみる。
伊勢平野は広い。しかも豊かな川が幾筋も平野を横切り、水良し、空気良しの、まさに稲作に適した真っ平らな平野である。
子供たちにとっても海、山、川と遊び場には事欠かない恵みの多い地でもある。気候はといえば、志摩をイメージして一見温暖な地であるように思う方も多いかもしれない。
たしかに春から秋にかけてはあたっているだろうが、冬の北西風の冷たさときたら、これはもう日本海側並で誰しも驚かれるだろう。
高い山などさしたる障害もなく琵琶湖、鈴鹿山脈を越えて来た風には幾分水分が多い。それが狭隘な部分をくぐって来ると鞴(ふいご)となって勢いを増すうえに、その湿った風がまるで氷の手裏剣かと紛うばかりに表情を変え顔、手指を刺すように襲うのである。
冬場は風上となる母校に通うには、息もできないほど吹き付ける風と喧嘩しないでは一歩も自転車は前へ進まない毎日であった。今でも、たまに正月などに帰ろうものなら、軟弱な都会暮らしで堕落した身ではたちまち風邪をひいてしまうのである。
寒風に スクラム組むや 伊勢大根
少年のころ。
暗くなるまで外で遊ぶのが当たり前で、毎日が相撲、馬飛びに明け暮れ、おかげで霜焼け、垢切れは悪ガキの証ともいえた時代であった。
ある日、線路を超え隣町まで遠征したときのことである。寒風に吹きさらされた刈田の一面に見慣れぬものを発見したことを今でも鮮明に憶えている。
それは高い木杭の間に、さらに何段もの太い杭がわたされ、それぞれに何本もの大根が干されていた光景であった。それらがいくつもあるものだから、少年の視点高から見ると、まるで幾重にも高い壁が築かれたようにも見えたのだった。