hodaぶろぐる - ハイクカテゴリのエントリ
昨日は立春節分、何年ぶりかの豆まきをした。
往来に向かって大声を出すのはなんとなく気恥ずかしいものだが、ご利益を願って今年は少しだけ声を大きくしてみる。
ただ、子も独立してしまうと用いる豆も極少量。したがってスーパーで売ってる安直な豆まきセットとなるが、その豆もあっけないほど歯ごたえがなくて歳の数などはみるみる食して終了。
やはり、子供たちと賑やかに生豆を炒ったり、お面の鬼役をかったりしながら過ごした団らんとはほど遠いものがある。
子供らも 鬼面かぶりて 春の立つ
ところで、あの豆やあられを炒る道具。あれは今どこで買えるのか、「あられ炒り器」でグーグルしてみると、なんと懐かしや、我が津の町、丸之内商店街・分部町商店街・大門大通り商店街の名が並んでるではないか。
全国でたったの1店、村田金物店だけがヒットした。
今月、義兄見舞いに帰津するので、立ち寄ってみようと思う。
陽水に対抗して我が少年時代を振り返ってみる。
伊勢平野は広い。しかも豊かな川が幾筋も平野を横切り、水良し、空気良しの、まさに稲作に適した真っ平らな平野である。
子供たちにとっても海、山、川と遊び場には事欠かない恵みの多い地でもある。気候はといえば、志摩をイメージして一見温暖な地であるように思う方も多いかもしれない。
たしかに春から秋にかけてはあたっているだろうが、冬の北西風の冷たさときたら、これはもう日本海側並で誰しも驚かれるだろう。
高い山などさしたる障害もなく琵琶湖、鈴鹿山脈を越えて来た風には幾分水分が多い。それが狭隘な部分をくぐって来ると鞴(ふいご)となって勢いを増すうえに、その湿った風がまるで氷の手裏剣かと紛うばかりに表情を変え顔、手指を刺すように襲うのである。
冬場は風上となる母校に通うには、息もできないほど吹き付ける風と喧嘩しないでは一歩も自転車は前へ進まない毎日であった。今でも、たまに正月などに帰ろうものなら、軟弱な都会暮らしで堕落した身ではたちまち風邪をひいてしまうのである。
寒風に スクラム組むや 伊勢大根
少年のころ。
暗くなるまで外で遊ぶのが当たり前で、毎日が相撲、馬飛びに明け暮れ、おかげで霜焼け、垢切れは悪ガキの証ともいえた時代であった。
ある日、線路を超え隣町まで遠征したときのことである。寒風に吹きさらされた刈田の一面に見慣れぬものを発見したことを今でも鮮明に憶えている。
それは高い木杭の間に、さらに何段もの太い杭がわたされ、それぞれに何本もの大根が干されていた光景であった。それらがいくつもあるものだから、少年の視点高から見ると、まるで幾重にも高い壁が築かれたようにも見えたのだった。
もうそんな時候だね。
大晦日の夜更けにポストに走るのだけは避けたいが、やっぱり今年もそうなるのだろうか。春から学校時代友人たちとweb句会を楽しんでるので、しゃれた俳句でも添えれば面白いかもしれないな。そうすれば余分なこと書かなくて済むかも。
近ごろの 犬は寒さを 厭うなり<- 川柳か(笑) 来年は同期の四分の三(戌年)が還暦を迎える。
photo by iwa
残りたる もみじ葉朱の 極みかな今朝、黒猫hodakaと散歩(猫がだよっ)していて、猩々楓を逆光で透かし見た時の句。
まるで最後通告にも似て、俺が枯れたらいよいよ本格的な冬だぞ、よく見ておけ、と言わんばかりの、朱という朱を煮詰めたように濃い、混じりけのない純粋な朱。まさに絶命せんとするものの凄絶としか思えないような。
おそらく今朝あのとき限りの色だと思う。
たまには俳句。
目の醒めて オリオン冴え冴え かたぶきぬ
ご帰還午前様に見上げた夜空の詩だけど、様にならないので夢に起こされたことにした(笑) 小便したさに目が覚めたでは、いかにも老人臭いし。
それにしても上五の処理がうまくないな。
追)わかりにくいとの酷評をいただいたので、手をいれました(笑)
空蝉の 散りたる数う 朝(あした)かな
台風一過、庭にでてみると木の葉や小枝にでもしがみついていたのだろう、セミの抜け殻がたくさん落ちていた。この夏巣立った蝉の多さを、秋になろうかという時季になって知った。
虫はみし 葉枝のかげに 蕾見ゆ
手入れしてない庭なので虫が好き勝手に暴れている。
夏のごと 若き才能 煌めきぬ
あるイベントで、若きリーダーたちの眩しいこと。
日本の将来もまんざらでもないわい。
まあ、万事がこんな句だから入選するわけないわな。
何の関係もないんだけどね。
このカテゴリを作るとき漢字変換で遊んでたら、語呂の面白さに一人笑い。
とうとう団塊連中も暇をもてあましてきたとみえ、合唱復活だの、今度は高校仲間で句会をやろうと言い出したやつがいる。つきあいがいいので、これにも参加。
正直言ってみんな巧くない。深くない。鋭くない。ハッとするような表現に出会ってみたいものだが。なのに早速いっぱしに泊まりで吟行しようとくる。
要するに連みたいわけだな。だから団塊は嫌われるのかもしれない。
ただし、お互いに宗匠と呼び合うところなんかは、可愛くてよい。
言ってみればめだかの学校みたいなもので、師とあおぐ先達もいないわ、季語がないだの、まるで川柳じゃないかだの、おかげで恥をかかなくてすむ。
課題に自由題、毎月2句ずつ投稿する決まりで出発。幹事さんのためにメーリングリストを作ってやったけど、スレッドが替わっても関係ないスレッドに延々と返信してくれたりするので、ツリーでみている僕には我慢ならない。選評の集計もwordなんかで作ってくれたり、あらためてこの世代のコンピュータ音痴には天を仰いでしまうよ。
上の世代でひょうひょうと使いこなす人を何人も見ているので、余計そのように思えてくる。